AIの話になると、必ずこの一言が出ます。「でも、触診だけはAIには真似できないから」。
私自身、長くそう思っていました。手で感じる情報には、数値化できない何かがある。だから最後に残るのは触る技術だ、と。
ところが、この主張を裏づけようとして文献を調べると、かなり不都合なデータに突き当たります。
2004年にSpineに掲載された系統的レビュー(Seffinger MA ほか, Spine. 2004;29(19):E413-25, PMID: 15454722)は、797本の一次研究から基準を満たした49本を抽出し、脊柱触診の検者内・検者間信頼性を検証しました。結果はこうです。カッパ統計量を用いた研究のうち、許容できる信頼性(K≧0.40)を示した割合は——
疼痛誘発テスト 64%。可動性テスト 58%。ランドマークの触知 33%。そして軟部組織の触診 0%。
軟部組織の触診、つまり「硬さ」「緊張」「滑走性」といった、私たちが日々いちばん頼りにしている情報が、ゼロでした。
さらに厳しいのは、その先です。同レビューは「検者の職種、経験年数、手技についての事前の合意形成、研究直前のトレーニング、有症状の被検者を用いること——これらはいずれも信頼性を改善しなかった」と報告しています。ベテランでも一致しない。練習しても一致しない。
この数字を前にすると、「触診はAIに置き換えられない」という命題は、少し違う意味を帯びてきます。置き換えられないのではなく、そもそも何を測っているのかが共有されていない——そう読むほうが正確かもしれないからです。
「守る」と言うとき、私たちは何を守ろうとしているのか
ここで大事なのは、この数字を「だから触診は無意味だ」という結論に使わないことです。それは早すぎます。
検者間で一致しないことと、その情報が臨床判断の役に立たないことは、まったく別の問題です。実際、多くの臨床家が触診から得た手がかりで介入を組み立て、患者さんは良くなっている。それは事実です。
問題は別のところにあります。一致しないという事実に向き合わないまま「これは言葉にできない技術だ」と言い続けると、その技術は継承もできず、検証もできず、外からの説明もできない——つまり、いちばん守りたいものが、いちばん脆いまま放置されることになる。
しかも、状況は待ってくれません。いま起きているのは二つのことです。ひとつは、「手で感じる」という行為の一部が、実際に計測装置へ切り出され始めていること。もうひとつは、AIを使うこと自体が、人の判断力を静かに削っていくという、逆方向からの圧力です。後者は、すでに視線計測を使った研究で実証されています。
以下では、この二つの圧力の中身を実在論文で確認したうえで、暗黙知を3つの層に分解し、そのうちどれを言語化して手放し、どれを訓練で鍛え直し、どれが人に残るのかを整理します。そして最後に、明日から使える言語化の4手順を具体的に示します。
